南定四郎(ゲイ活動家)の経歴は?『アドン』の創刊やLBGTパレード開催

今の時代、各々の個性が尊重されるようになってきて、それに伴いLBGTを公表する人も増えてきました。

 

今ではLBGTパレードでは20万人を超える人々が集まります。

 

そんな今の時代と違って、まだLBGTが差別を受ける時代の26年前に日本で初めてパレードを行った人物がいます。

 

その方の名前は南定四郎(みなみ ていしろう)さん(88)

 

今回の記事では伝説のゲイ活動家の南定四郎さんの雑誌アドンの創刊やLBGTパレード開催などの経歴をお伝えしていきたいと思います!

是非最後までご覧になってください!

南定四郎(ゲイ活動家)の経歴は?

南さんは1931年12月23日に樺太大泊町に生まれました。

 

南さんが男性のことが好きだという認識を持つ前に、男性の身体的なことに興味を持ったのは小学3年生の時です。

 

近くのお菓子屋さんの10歳上の跡取り息子さんとの出会いが南さんを同性への興味を持たせるきっかけでした。

 

一緒に公園で遊んでいた時に、丘の頂上まで登っていった彼が突然下半身を脱いで南さんに射精するところを見せつけたそうです。

 

この体験が南さんの性を目覚めさせたそうです。
以来、彼と遊びにいくのが楽しく自然な感情で彼のことが好きだったようです。その時は特に身体に触れたりとかはなかったそうです。

 

自分がゲイだと気づいたきっかけは?

南さんは高校を卒業して秋田地方検察庁へと就職をしました。

ある日、本屋に行って立ち読みをしていたところ、ある風俗雑誌を手に取りました。

そして、その雑誌に書かれていたのが同性愛者の内容で、そこに書かれていることが自分と同じだと気づいたのだとか。

 

その時に初めて自分が同性愛者ということを認識したそうです。

 

それまでは自分が得体の知れない人物だと思っていたようで、ほっとした気持ちになったのだとか。

 

今の時代と違い、オープンにできない時代だったのでそういった事例をしらなかったのでしょうね。

ゲイ雑誌『アドン』の創刊

南さんは高校卒業後、秋田地方検察庁に就職した後、色々な職を転々としていました。

 

放送局の音響効果の仕事、出版社、大工、専門誌の記者などあらゆる職を経験していました。

 

その理由として、気づかれるとやばいと思い3年ほどで職を変えていたそうです。

 

そんな南さんに転機が訪れました。

それが1974年のゲイ雑誌『アドン』の創刊です。

その時、他にゲイ雑誌は存在していましたが、内容が気にくわないという話があり、新しい雑誌を作らないかと言われたそうです。

 

この雑誌の方針は、普通の人と同じような社会生活をしている中で起きてくる問題などを解決するアドバイスや実体験の投稿を載せるというもので、南さん自身もこの雑誌で同性愛者だということをカミングアウトしました。

 

この『アドン』は初版で3万部を全部売り切り、読者に嫌われずにこの仕事をしていれば、社会から弾き出される心配もなく生きていけると感じたそうです。

 

まさに南さんにとって人生を変える出来事でした。

LBGTパレード開催

南さんの特筆すべきことといえば、1994年に日本で初めてセクシュアルマイノリティのパレード「東京レズビアン&ゲイパレード」を主催したことです。

 

パレードを開くきっかけとなったのは、遡ること10年前の1984年に国際ゲイ協会(IGA)から日本支部を作らないかと打診されたことです。

 

最初は政治的なことに興味のなかった南さんは断りましたが、スウェーデンからきたIGAの担当者から話を聞くうちに引き受けることになったのだとか。

 

その時からパレードを開くのが一つの目標でした。

 

そして10年後の1994年に見事に目標を達成しました。

 

しかし開催され出発地点の西新宿に集まったのはたったの50人ほどでした。

ですが、パレードが進んでいくにつれて歓声なども上がるようになり、渋谷の宮下公園では300人にまで人が増えていたそうです。

 

そして原宿につく頃にはすごい人になっていてびっくりしたとおっしゃっています。

 

見事にパレードは成功を収めました。

 

そしてその後も毎年のようにパレードは行われて、今では20万人を集めるほどの規模になっています。

 

このLBGTパレードの開催によって、南さんは今のLBGTムーブメントの始祖と言われています。

 

南定四郎(ゲイ活動家)の経歴のまとめ

当記事では南定四郎さんのアドンの創刊やLBGTパレードの開催などの経歴についてわかりやすくお伝えしていきました。

 

今でこと多くの人に受け入れられているLBGTですが、昔は差別の対象でありそんなことはありませんでした。

 

そんな時代の中で、パレードを開くことは相当な勇気があったと思われてます。

 

しかし、パレードは成功を収め、毎年のように開催されるようになり規模も大きくなりました。

 

今のLBGTが公表しやすい世の中というのは南さんが作り上げていったといっても過言ではありませんね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

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